2018年2月5日月曜日

フクと一緒:待つ

熊本には竹輪サラダなる食べ物がある。多分熊本の男で食ったことのないヤツはいないはずだ。ソールフードですね。

FBをながめていたら竹輪サラダの投稿があった。そりゃ食いたくなるよね。ということで夜、買い物ついでに竹輪サラダの売ってある「おべんとうのヒライ」が店舗として入るスーパーへ。残念ながら夕方遅かったため人気商品ゆえに売り切れ。仕方なくカツ丼と食って、レーバー炒めと白御飯を夜食用に買う。


カツ丼食って買い物を済ませる間、時間にして30分程度フクはリヤカーで待つのだ。前にも書いたがゴーグルをつけている間はリヤカーを降りてはいけないと教えている。

訓練当初、ドキドキの5分、物陰に隠れて見守っていた10分、飯を食べる間フクのことが気が気で料理を味わう余裕もなかった20分、最近は30分の訓練をクリアするためにわたしが時間を潰して待たなければならないという逆転現象である。

30分待てれば大抵の用事は済ませることができるので「リヤカーで待つ」の訓練は終わりとします。

人間のご都合で訓練されるのだから犬にとっては理不尽なはなしかもしれないが、それが犬として生まれてきた定めかもしれない。
犬が生活の場とするのは人間社会である。その社会の中で犬は、盲導犬、介助犬、警察犬、災害救助犬と様々な重要な役割を果たしている。もちろん家族の一員として癒しをもたらしてくれている。

アルベール・カミュは言う。
I have a very old and very faithful attachment for dog.
I like them because they always forgive.

私は犬に対してゆるぎない愛着を持っている。
彼等はいつでも、どんなことをしても許してくれる。そこが良いのだ。

犬が”人間を許してくれている”のか、”許さざるおえない”のか、それとも”許していない”のか、それははわからない。
それでも”許してくれている”とは思いたくない。

犬達にとって何が幸せなのか考え続けなければならない。それは自分自身のためでもある。

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