2018年6月5日火曜日

懐古趣味と質実剛健

ここ2月余り、慣れない環境でのプレッシャーのなかでの作業だったので体が多少ダメージを受けているのだろうと思う。

丁度良い、今日と明日は雨なのでこの2日間はゆっくりと体を休めることにした。腰痛の養生にもいいだろう。

養生というからには家でまったりと過ごすわけなのだが、とくにやることもなくこうやってブログに向かっているがネタを探しているうちに釣りチャンネルをやっているyoutubeに出くわした。

堤防や漁港をメインに五目釣りをするチャンネルでマニアックな感はなく釣りを楽しんでいる感じがほのぼのとしていて見入るってしまった。

思い起こせばわたしの釣り歴は小学生まで遡る。40年も前の話にはなるが当時ルアーフィッシングの出端で安いリールとロッドで近所の川で雷魚やナマズを釣っていた。

当時から凝性だったわたしは釣具屋に通いカタログを集め高嶺の花であったリールとロッドを暇さえあれば眺めていた記憶があるが、メーカーのトップモデルが小学生に買えるわけもなく、中学になると部活に忙しくなり釣りのことなど全く消え去っていた。

そんなことを思い出していると、当時のリールとロッドもことを知りたくなり検索をしてみたらそれらしきものを見つけた。Daiwa ss600 当時欲しかったモノは多分このリールだと思うと懐かしいものだ。

もともとわたしは「昔はよかった」というような懐古主義的な嫌いがあるが、どちらかというと懐古趣味的なものだと思っている。

腕時計が手巻きから自動巻きに変わり、一時クォーツ時計が市場を席捲し、そして今や電波時計の時代であり、正確な時間を共有する技術は高いレベルに到達していると思うが、そんな現在に至っても、クォーツ時代前の構造を持つ腕時計が人気を博している。

モーターサイクルの世界も同じだ。燃焼機関という構造が長い間成熟されてきたが、近年HB車PHV車などの技術革新もあり時代の流れが後戻りしないのは明確ではあるが、それでも私が10代後半に全盛を誇ったCBX400Fなどは中古市場で200万以上の高値を付けている。

思えば、時計にしろ車やバイクにしろ基本的構造及び性能は数十年前に完成せれているものであり、その完成されたモノを更に研ぎ澄ませてきた結果がmade in Japan のブランドを確固たるものに仕立て上げたのだろう。
made in Japan確立の過程は世界レベルへの挑戦であったはずである。そして世の男達はこの挑戦への過程に想い憧れ大枚を叩く。この構図が一種のプレミアム市場・懐古市場なのだろうとおもいます。

そんなニッチなプレミアム市場・懐古市場とは裏腹に世界で最も売れている車はトヨタ カローラ オートバイはホンダ スーパーカブなわけで、時代はどう変わろうと質実剛健、Simple is Best はかわらないようだ。


2018年6月4日月曜日

腰痛

朝、仕事中に左臀部より拳ひとつくらい上の箇所がピリピリと嫌な痛みが走り出した。ある一定の稼働域に達したら痛みが走り、50肩の時に経験した痛みとよく似ているような気がする。

これが腰痛というものなのか? だとすれば人生初の腰痛デビューである。

わたしの周りには腰痛持ちの知り合いがたくさんいる。ぎっくり腰やら、なんだかんだとみんな腰が痛いと言っていたのだが、腰痛を経験したことのないわたしにはその苦痛がどんなものなのか理解できないでいたが、これでやっと仲間入りである。

この歳まで何の不都合もなく病気ひとつせずに生きて来れたのが不思議なくらいなので、そろそろ何か起こるだろうなという覚悟していた矢先のことだ。

この痛みが短期的なものなのか慢性的なものになるのかわからないが2、3日様子をみようと思う。

2018年6月3日日曜日

ふわふわと淡い色を灯しては消し、消しては灯す蛍を今年は観ることができた。

4、5歳の頃だろうか、親戚の家に遊びに行くと何の変哲もない素掘りの用水路に沿うように延々と蛍の乱舞が観ながら歩いた記憶がある。
ただ歩いていたばかりではない。虫篭と網を持って蛍を取り放題の情態。今の時代蛍は鑑賞する対象だが、わたしがガキの頃は蛍なんて蝉や他の昆虫と同じで狩りの対象でしかなく、捕まえてくれと言わんばかりに光っている蛍を捕まえるのは余りにも容易く、狩るという遊びそのものにワクワク感はなく、すぐに飽きてしまっていた。
それでも虫篭いっぱいに捕獲した蛍を家に持ち帰り、部屋の灯りを消し虫篭から蛍を放して今度は家の中で狩り再開である。毎回のことではあるが、これはさすがに怒られ、蛍を逃がしてあげるようにと親戚のおばさんに言われるのだ。これで蛍の楽しみ方「子供の部」は終了であり、ここから「大人の部」が始まる。
庭に放つように言われた蛍を観ながら大人達は酒を飲んでいた。「子供はさっさと寝ろ」といわれ、渋々布団に追いやれていたという思い出がある。

子供は蛍を狩り、大人はその蛍を肴に酒を飲む。今の世の中こんなことをしたら「蛍が可哀想」と叩きの対象でしかないのでしょうが、蛍にとっても悪いことばかりではなかったのではないかと今にして思うのです。

蛍の飛行能力は高い方ではないので、行動範囲としては数百メートル程度でしょう。そこを人間の力を借りて飛躍的に移動距離を稼ぎ、新たな生息域「新天地」を見出せるかもしれないという人間様の屁理屈も今の世の中酒の肴にもなりませんね。

そんなことを考えながら暫し蛍の求愛を眺めていました。