2018年3月2日金曜日

レバ刺しと鴨鍋のローカリズム

いい加減なこと書いてるなと反省したのでそのことについて書いておく。

昨日、県外の市場へ出ていく馬レバ刺しについて御託を並べかいていたが、わたしも同じようなことをしていた。

毎年大晦日から正月にかけて忘年新年会に参加させてもらっているが、この会での定番である鴨鍋の鴨は京都の有名な鴨らしい。これを毎回うまいうまい言って食っている自分自身のことを思い出した。


さぁ、これをどう説明する?グローバリズムとローカリズムの葛藤だ(笑

日本にはうつくしい言葉がある「お裾分け」である。

とある家族の畑でイモが獲れた。丹精込めて作った甲斐あって煮ても焼いてもおいしいイモだった。「このイモはおいしかったので、ご近所さん達にも食べてもらおう」

「お裾分け」ということですね。

この家族にはおいしいイモを作れるという生活の基盤がしっかりとあり、このおいしいイモを通じて近隣と繋がりを持ち恵みを分かち合う。
言い換えれば、地域の生活に根を下ろしそこで暮らす人たちとの関係性を大切にしながらもその小さな界隈にこもることなく多様な生活圏ともつながっていくという、ローカリズムの意とするところの姿勢である。

大切なのは「そこで暮らす人たちとの関係性を大切にしながら」なのだろう。ここを省いてしまうと長年続く持ちつ持たれつの関係に違和感が生じてくるのだろう。

よって鴨の一件は、馬レバ刺しのお裾分けのお返しに、ご近所さんの京都さんからおいしい鴨を頂いていると考えることにした。お裾分けのローカリズムなのだ。

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