2018年4月14日土曜日

現況復旧の大原則

熊本地震から2年が経った。二年前の今日は年度末の打ち上げで街で飲んでいる時に地震に見舞われた。場所はビルの8階、こじんまりとしたスナック、突然揺れ出したビルはカウンターのグラスやボトルを一掃するばかりか、棚からはキープボトルが揺れに合わせて次々と床え落ちる。落ちては割れ落ちては割れ、わたしはその光景を「ドキドキ」しながらスローモーションをみているかのようにカウンターにしがみつきみていた。
身の危険は感じたもののそれは恐怖とは違う、ましてや、死への連想などこれっぽっちなく、そう「ドキドキ」しながらだったのだ。

その後、飲んでいたメンバーと一旦別れ、知り合いの店をを回り安否を確認した。

公園や河川敷には避難してきた人達で溢れ、子供を毛布に包み寄り添う親子、繋がらない携帯を片手に右往左往する大人、一人押車の横でしゃがみ込むご老人。そこら中に恐怖と不安を抱え込んだ人達がひしめき合っていた。

そんな光景を横目にあたかも他人事のように「ドキドキ」しながらわたしは歩き回っていたのだ。
そして小さく笑っている自分が居た。家は耐震構造であるので大して被害もないだろうと思っていた反面、家が壊れていても一晩寝れば現実を飲み込み通常の精神状態に戻っていただろうと、わたしにとって家とはその程度のモノでしかなかった。フクは玄関につないでいるものの自由に出入りできるの心配はい。家には必要最小限のものしかない。あってもなくても大したことはないものばかりだ。仕事関係のデータは手持ちのバックの中だ。

そんな身軽なわたしが可笑しかったのだ。守るモノの無い自分が可笑しくなっていたのだ。それは守るモノの無い寂しさの反動なのかもしれなかった。

地震より2年経った。みんな口にはしないしが、地震前より生活環境が改善された人たちはたくさん居る。少なくとも大半人達が地震前の生活の水準を取り戻しつつあり、また取り戻しているはずである。

知り合いの家は新築となっり引っ越しも終え新たな生活をスタートさせている。「築70年の家が新築になったばい、地震保険さまさま」だと上機嫌であった。そんな話はそこら中に転がっている。地震のお陰で十数年分の利益を上げた会社もある。いろいろな補助を利用して事業を拡張させた会社もある。「がんぼろう熊本」なんてステッカーを貼って走っている営業車やトラック、ダンプは儲かっている会社の証とおもってもいい。地震前に40過ぎてリストラされていた知人は復興需要のお陰で前より待遇の良い会社に正社員で就職できたと喜んでいた。
ある人達には不幸な出来事でも、後々ともなれば運が良かったと思っている人達もいる。

わたしは建設関係に従事する仕事柄、災害の現場には多く関ってきた。そして災害を復旧する前線で働いてきた。
災害復旧の大原則は「現況復旧」なのである。

厳しい言い方かもしれないが、けして地震前の生活環境以上の水準を支援をするというものではない。復興の結果として落ち着くところは地震前の生活水準を取り戻すことであり、地震前の日常が還ってくるだけの事である。
その日常が豊かだった人には豊かな生活が還り、その日常が厳しかった人には厳しい日常が還るだけの事であり、そこには甘い現実などない。
そこに何かあがあるとすればその人の持つ運が幸運だったか不運だったかということなのだろうと思う。そして不運を予測して対処しておくのは自己責任であり、その予測を超える不運な出来事は運が悪かったとしか言い変える言葉がみつからない。

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