ふわふわと淡い色を灯しては消し、消しては灯す蛍を今年は観ることができた。
4、5歳の頃だろうか、親戚の家に遊びに行くと何の変哲もない素掘りの用水路に沿うように延々と蛍の乱舞が観ながら歩いた記憶がある。
ただ歩いていたばかりではない。虫篭と網を持って蛍を取り放題の情態。今の時代蛍は鑑賞する対象だが、わたしがガキの頃は蛍なんて蝉や他の昆虫と同じで狩りの対象でしかなく、捕まえてくれと言わんばかりに光っている蛍を捕まえるのは余りにも容易く、狩るという遊びそのものにワクワク感はなく、すぐに飽きてしまっていた。
それでも虫篭いっぱいに捕獲した蛍を家に持ち帰り、部屋の灯りを消し虫篭から蛍を放して今度は家の中で狩り再開である。毎回のことではあるが、これはさすがに怒られ、蛍を逃がしてあげるようにと親戚のおばさんに言われるのだ。これで蛍の楽しみ方「子供の部」は終了であり、ここから「大人の部」が始まる。
庭に放つように言われた蛍を観ながら大人達は酒を飲んでいた。「子供はさっさと寝ろ」といわれ、渋々布団に追いやれていたという思い出がある。
子供は蛍を狩り、大人はその蛍を肴に酒を飲む。今の世の中こんなことをしたら「蛍が可哀想」と叩きの対象でしかないのでしょうが、蛍にとっても悪いことばかりではなかったのではないかと今にして思うのです。
蛍の飛行能力は高い方ではないので、行動範囲としては数百メートル程度でしょう。そこを人間の力を借りて飛躍的に移動距離を稼ぎ、新たな生息域「新天地」を見出せるかもしれないという人間様の屁理屈も今の世の中酒の肴にもなりませんね。
そんなことを考えながら暫し蛍の求愛を眺めていました。
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