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2018年4月5日木曜日

便乗

次から次へと袋叩きにあう大相撲だけれども相撲ファンでもないわたしにはさして関係のない話である。

それにしても外野の煩いこと。なんの関係もない輩が、男尊女卑だの女性蔑視など言い出し、宝塚市の市長に至っては、

「相撲協会は伝統を大事にする。国技であるこの相撲をずっと守ってらっしゃいました。伝統は大事にすべきです。でも今、時代はどんどん変わり、女性の知事、そして女性の市長も増えています。女性の総理大臣も現れるかもしれません。その時に女性は、絶対似土俵の上にのぼってはいけないのでしょうか?」「いけないという意見もあるでしょう。皆さんに考えてもらいたい。伝統を守りながら変えるべきものは変革する勇気も大事ではないでしょうか」

 「皆さんに心の内を聞いて頂いて感激です。来年も宝塚場所があると思います!そのときはこの上から(指で土俵を差して)ご挨拶できるように力を貸してください!」


この市長の発言を読むと、場を弁えること、相手への敬意を払うという礼儀が抜けているような気がする。相撲協会批判に乗じて世論に乗っかっているだけの発言に聞こえてしまうのです。

この発言を例えるならばドレスコードのようなものだろう。主催者側の意図や行事の背景をくみ取ることなく、「この行事でのドレスコードは時代にそぐわないから変えて欲しい」と言っているようなもの。法令に基づき行政を遂行する長の発言にしては行き過ぎた身勝手な発言とも受け取れる。
何かを変えようとするときに「時代の流れ」や「世界標準」なんて実体のない借りて来たような言葉を理由にするからアイデンティティが崩壊し世の中はおかしくなる。

2018年3月2日金曜日

レバ刺しと鴨鍋のローカリズム

いい加減なこと書いてるなと反省したのでそのことについて書いておく。

昨日、県外の市場へ出ていく馬レバ刺しについて御託を並べかいていたが、わたしも同じようなことをしていた。

毎年大晦日から正月にかけて忘年新年会に参加させてもらっているが、この会での定番である鴨鍋の鴨は京都の有名な鴨らしい。これを毎回うまいうまい言って食っている自分自身のことを思い出した。


さぁ、これをどう説明する?グローバリズムとローカリズムの葛藤だ(笑

日本にはうつくしい言葉がある「お裾分け」である。

とある家族の畑でイモが獲れた。丹精込めて作った甲斐あって煮ても焼いてもおいしいイモだった。「このイモはおいしかったので、ご近所さん達にも食べてもらおう」

「お裾分け」ということですね。

この家族にはおいしいイモを作れるという生活の基盤がしっかりとあり、このおいしいイモを通じて近隣と繋がりを持ち恵みを分かち合う。
言い換えれば、地域の生活に根を下ろしそこで暮らす人たちとの関係性を大切にしながらもその小さな界隈にこもることなく多様な生活圏ともつながっていくという、ローカリズムの意とするところの姿勢である。

大切なのは「そこで暮らす人たちとの関係性を大切にしながら」なのだろう。ここを省いてしまうと長年続く持ちつ持たれつの関係に違和感が生じてくるのだろう。

よって鴨の一件は、馬レバ刺しのお裾分けのお返しに、ご近所さんの京都さんからおいしい鴨を頂いていると考えることにした。お裾分けのローカリズムなのだ。

2018年3月1日木曜日

馬レバ刺しと白い恋人

味処お川さんのページより抜粋
「ブルータスお前もか?熊本特産が次々と大消費地東京に行く❗生産者の為には良いことです‼馬刺しの値上がりは1、5倍😭遂にトマト🍅にバイヤーが入り今シーズン熊本の市場に入荷はない?八百屋さんと相談の上、トマト🍅東京へいくぶんを注文することに😭そのうちお客さまに熊本名物は東京で食べて?ってことに😭(((-д-´。)(。`-д-)))だ最短で木曜日にトマト🍅来るかもです‼今夜も熊本のアスパラだよぉーん」
ーーー以上ーーー

そうなんだよな。15年前位からだろうか、馬レバ刺しが庶民的ではなくなっていったのは。記憶を辿れば、まずは馬レバ刺を取り扱う店が数を減らし、馬レバ刺を置いてある店を探すようになった。値段が800円、1000円、1200円、1500円と右肩上がり。理由はお川さんのご指摘の通りなのでしょう。

こんな記事を読むと、北海道の定番お土産「白い恋人」の販売戦略を思い起こしてしまう。

年間売り上げ100億円 なぜ売れ続ける「白い恋人」を作れたのか
ーーー以下抜粋ーーー
「お土産品としてのプレミアム感を全面に出すために、販売は道内限定にし、『パッケージデザイン』『ネーミング』も北海道をイメージさせるものを意識しました」
中略
 白い恋人は誕生してから40年近く経つが、現在でも売り上げは伸び続け、航空会社などが発表するお土産売り上げランキングにおいて常に上位の位置にいる。一体なぜ白い恋人は、これだけ長く支持されるのだろうか。
 その秘密は、“中身を一切変えない”という一点に尽きると同社は説明する。
 「派生商品を出せば、一時的には売れるかもしれないが、そういうものはすぐに飽きられてしまいます。そうなったとき、本家の印象まで傷つけてしまいます。派生商品を出すときは、そうしなければ売れないという状況で行う最後の手段です」
中略
海外からの知名度も高く「その地域のお土産品よりも白い恋人が売れている場所も多い」そうだ。実際、本社に隣接する白い恋人パークに訪れる観光客の4割は外国人である。同社は今後も、外国人観光客の需要を開拓し、北海道のお土産から“日本のお土産”に成長させていくという。
ーーー以上ーーー

地産地消という言葉が好きだ。飲食店でも熊本の食材に拘った地産地消を掲げている店も多い。実際に馬レバ刺しは熊本でなければ食べれないコアな食材だと思う。

もう17、18年前になるだろうか北海道や長野、大阪、東京など各方面から集まった方々との宴会場所に選んだのが菅乃屋だった。
昨日その中のお一人から連絡があり「今度熊本にみんなで遊びに行くんだけどあの時の馬料理店何処だった?みんなに食べさせたい」とのこと。

熊本に来なければ食べられない料理ってあるんだよな。

そういうことなんだよ。

2018年2月17日土曜日

カーリングとテレビゲーム

wikipediaにとると
スポーツとは、一定のルールに則って営まれる競技のこと。フィジカル(肉体的)スポーツ、インテリジェント(知的)スポーツ、テクニカル(技量的)スポーツといった伝統的な分類のほか、近年ではローケーションに注目したマリンスポーツや、道具に注目したイー(電子的)スポーツなどの新しいジャンルが開拓されている。一方で競技的要素を含まない体験や行為については、アクティビティとして明確に区別されるようになった。

そういうことね。なんとなくわかる。

ようは、カーリングがスポーツなのかゲームなのか疑問に思ったのだが、カーリングはインテリジェントスポーツに分類されるわけね。だとすれば“テレビゲームもスポーツ”ではないのかという疑問を抱いてしまう。

さらにwikipediaにとると
ゲーム(英: Game)とは、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である。邦訳ではプレイ(英: Play)と混同され遊びや遊戯の言葉が当てられることが多いが、英語圏では明確に区別されている。
そういうことね。なんとなくわからない(笑

テレビゲームとカーリングの違いは、競技するフィールドの違いだけなのだろう。
カーリングが凍った氷上でさえあれば、川であろうと湖であろうと(仮にこれを公の空間だと仮定する)場競技できるのに対して、企業が営利目的で開発したゲーム空間は、けして公の場とは言えない。
一企業の利益を誘導するようなものはスポーツと定義することは難しいということだ。

逆に、フリーのゲームが爆破的に世界的規模で人気を博し、継続的にゲームされ続けたらこれはスポーツなのだという理屈になる。

笹川スポーツ財団の記事によると
手元にある国語辞典によれば「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟にいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛練の要素を含む身体運動の総称」(広辞苑第六版)、「余暇活動・競技・体力づくりとして行う身体運動。陸上競技・水泳・各種球技・スキー・スケート・登山などの総称」(大辞林第三版)とある。
言ってしまえば、余暇を利用した身体を使った活動であり、そこに「競う」という要素も含まれる。さらに「遊戯」つまり「遊び」が例示されていることに着目したい
中略
   スポーツが日本に“輸入”されるのは、主として明治時代初期であった。ただ、確かに身体を使う活動、競技的な要素はしっかり導入されたのだが、第一義の「遊び」の要素は切り捨てられたといっても過言ではない。
たしかにそうなのだ。試合は勝つか負けるかであり、試合を楽しむという感覚は昭和世代には希薄だったかもしれない。

詳しくは笹川スポーツ財団のHPをみてください。
https://www.ssf.or.jp/default.aspx

そう考えると、「ダルマさんが転んだ」もインテリジェント(知的)スポーツとなるわけだ。


2018年2月15日木曜日

備忘録その3”民意”

youtubeのリンクを辿っていたらこんな動画を見つけた。
リーガルハイという過去の番組のようだ。ここでは民意ということにスポットが当てられていた。


動画中 00: 42
「人は見たいように見、聞きたいようにきき、信じたいように信じる」

わたしたちは自分の意図するところを満足させてくれる情報を収集することに勤しむ。マスターベーションン始まりだ。

動画中 02: 25
「民意なら何もかも正しいんですか?」

このドラマ全体を観たわけではないのでドラマ中で民意がどうやって形成されていくのかは不明だが、大まかな流れは見当がつく。

権力→マスコミュニケーション→市民 という民意の誘導パターンなのだろう。

動画中 04: 33
「民意なら正しい、みんなが賛成していることなら全て正しい、ならばみんなで暴力をふるったことだって正しいわけだ。冗談じゃない、冗談じゃない!」

世界で起きてきた、または起きている戦争。息を潜め理不尽強いる虐め。見て見ぬふりをするという合意。

動画中 05: 15
「本当の悪魔とは巨大に膨れ上がったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋叩きにしてしまう、そんな善良な市民達だ」

あれだけ民意からバッシングを受けた公共工事も大災害(水害・地震)が頻発する近年では、インフラはコンクリートで構築されていること、生命財産はコンクリートで守られていることを広くに知らしめる結果となり建設業の存在を再確認してもらえる機会ともなった。
「コンクリートから人へ」民主党政権を誕生させたのも選挙という民意の結果だ。湾岸戦争もアメリカの民意が世界中を巻き込んだ。

動画中 06: 54
「判決を下すなら断じて国民アンケートなんかじゃない。我が国の碩学であられるたった5人のあなた方です。どうか司法の頂点に立つ者のの教示をもってご決断ください」

この動画の備忘録として最後(↑)の台詞にわたしなりのフィルターをかけてみると。

「民意を形成付けていくモノは断じてワイドショーコメンテーターの発言や報道番組の方針なんかであってはいけない。悪魔と対峙することをも厭わない、あなたの勇気をもってご決断ください」となる。

2018年1月28日日曜日

批判的思考が止まらない 熊本市議会議員 緒方夕佳 市議が乳児を連れ議場に入場した件

27日(土)熊本県民テレビの番組「現場発!私は、ママの議員です。〜子育てと政治参加のはざまで」放送を観た。

熊本市議会議員 緒方夕佳 市議が乳児を連れ議場に入場したことが事の発端のようだ。

想像してみよう。乳児連れで外食する際には事前に店へ電話で確認するのではないでしょうか。それで断られたら仕方ないことだと諦めるのが店に対して、またそこで食事をしている人たちに対する礼儀だ。

彼女のとった行動を例えれば、事前に店に相談しても断られたので、当日乳児を連れて店へ押しかけテーブルに着いた。そこへフロアー責任者が来て退店を促しても居座る。他の席で食事を楽しんでいる他の客はいい迷惑、挙句の果ては子供を店外に預け自分は食事を済ませ店を後にしたという状況だ。しかもその後、子供連れの客のために託児室を設け、ベビーシッターによる子供の世話を当然の店側の義務であるかのごとく要求しているというのが一連の行動だ。

彼女の目的は「女性議員として働くための環境整備への問題提起」だったのだろうが、彼女の問題解決の手法だと、自身が主張している市民の代弁者・代表者しての役目は果たせてはいない。市民の代弁者・代表者して変えていかなければ環境は山ほどあるのだが、今回彼女の行動は自身の立場・境遇を盾に駄々を捏ね我儘を通し、ある意味脅迫めいた訴えで得た一過性の狭義の「容認」でしかない。
この手続きを無視した手法は最終手段であったことは彼女も認めるところだろうが、最終手段は最終手段であり他の事案のケーススタディには成り得ない。運営と協議を尽くし成し得た成果でもなく、ましてや議会で議論され他のケースにも運用可能な制度として制定されたわけでもない。そいいう意味で一過性の狭義の「容認」でしかないのだ。根本は何も変わっていない。

援助を必要としながらもシングルマザーのお母さん達は自ら問題を解決し職を探し、日々子供の突発的な病気の不安と背中合わせで周囲の協力を得ながら就業している。早退や欠勤が続けば職場への気まずさも募るだろう。何かを得るには何かを犠牲にせざるおえない覚悟を余儀なくされる場面に幾度となく遭遇しながらも生活の糧をみいだしていかなければならないのだろう。彼女たちが望んでいることは、職場に子供と同伴することではなく、安心して子供を預けて仕事ができる環境、子供の病気等で会社を早退や休みが気兼ねなく取れる環境の整備だと思います。



※今回の放送とこの動画は異なりますが、概要は分かると思います。

彼女の行動に対して批判的な文面に終始したが、議場施設内に託児施設として一部屋または部屋の一部を開放してもらうことがこんなにも大袈裟な展開にしなければいけなかったことのだろうか。事実この出来事後はちゃんと託児所書もシッターも希望通りの結果になっているということは、アプローチの仕方がお粗末だったとしか言いようがない。

批判的な文章が次から次へと止まらない。このあたりでやめておきます。

2018年1月27日土曜日

備忘録

グローバル化の問題

グローバル化とは人物金の流れが国境を超える。
経済活動が経済圏で自由になる。
国家主権では制御できなくなる。
民主国家での国家主権とは何か
国民主権である
すなわち民主主義
民主主義の限界
グローバリゼーションは民主主義的ではない反民主主義的
民主主義国家 アメリカ イギリス フランス グローバリズムか反グローバリズムか国内政治の混乱

グローバリズム国境を越え世界的な競争を激化する(弱肉強食)

弱い産業(中小企業)は衰退

グローバル経済は労働賃金が安い方が強い

先進国にも賃金が下がるという圧力がかかる

中小企業が潰れる、賃金が下がる→貧乏になる→景気悪化→較差が開く→安い労働力の流入(移民)→異文化のコミュニティーが形成される→治安の悪化

経済の悪化 治安の悪化  政治の悪化

グローバル経済により突出した経済発展を遂げる国の出現

地政学的に不安定

地球温暖化とTTPには今でも懐疑的です。世界的潮流には流れを起こして得する人達がいる。得をする人がいれば貧乏くじを引く人もいる。その弊害だ格差社会だとおもうし、子供の貧困だとおもう。
近年の株価上昇で企業の内部留保2倍、株主配当は5倍に増える一方、給与所得は横ばい。

グローバル化の波が押し寄せ早20年、その結果が今の日本である。
地球温暖化が原因だと言い張る世界的寒波、夜の街にも寒波は吹き荒れる。

地産地消という言葉が好きです。お裾分けは身近な地産地消。繋がりがあり、笑顔があり、季節があり、おいしさがある。すっぱかったり、苦かったり、あまかったり。それは慎ましいってやつかもしれません。原風景です。

Facebookには蕗の薹が顔を出していました。大寒も過ぎ春はすぐそこ。もう一息。